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根底にあるもの

· Diary
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気持ちやカラダの痛みが起こった時

それがたとえ居心地悪く

不快に感じられるものだとしても

その気持ちや痛みに

抵抗したり

コントロールしょうとしたり

解釈したり

原因を追求したり

意味づけしたり

避けようとせず

物語を作らず

その気持ちや痛みをそのままにして

共にあるとき

根底にある平安があらわれてきます

苦しみは

今から逃れ

抵抗した時にだけ現れます

自転車から転んでケガしたとき

激痛とともにただあるとき

痛みの根底に平安がありました

慕っていたひとがなくなり

ただ悲しみと共にあるとき

悲しみの根底には平安がありました

湧き起こる気持ちや痛みがありながらも平安は共にあることを

目の当たりにしました

不快と思われる感覚や気持ちをあるがままに体験することと苦しみはちがうんだと

思考の夢から覚める

目覚めたとしても

人生には起きることが起き

時には痛みや悲しみも起こってくるでしょう

どんな気持ちや感覚が起こってきても

わたしたちの自然な質は失うことなく

いつもここにあります

この気づきは

出来事やひととの関係を

根底から変えるでしょう

表層の不快を心理的に

避けたり怖れたりする必要がなくなるからです

すべては この静寂の気づきからあらわれ

それは 押したり引いたり 避けたりする必要もなく

慈しみから湧き出るものとなります

わたしたちは快適でいたく自分の不快を怖れ

思考の物語りを信じて 外側から守ろうとします

それは 縮こませ

苦しみにパワーを明け渡してしまうことになります

移り変わる事象には

色々な感覚や気持ちも起こってきます

それらの感覚をそのままにして

いまにあるとき

根底にいつもある

わたしたちの自然な質が

あらわれてきます