
前回 幼少期 蝶になって遊んでいたお話でした
そのお話はこちら
それから25年以上経ったある日
その時わたしはディサービスの看護師でした
利用者さんをお迎えする車の中で
その日は いつもは流れていないラジオが流れていました
『めずらしく今日はラジオついてるな』くらいで
ただ流れてる感じで
全く聴いていなかったのですが
武田鉄矢さんの声で
「これはこちょうの夢と言われ
蝶は魂の象徴と言われています」
この言葉が
ドーンと強烈な印象とともにわたしの中に入ってきました
その瞬間
幼少期に蝶になって遊んでいたことが
瞬時に浮かび
深い部分で合点がいきました
あの時 何気に蝶々になって遊んでいたのは
『さっちゃん』という表層の部分から
深い意識の部分の 本来のわたしへ戻っていたんだと
そして 表層の今のこの『さっちゃん』という器を
『今はこれ』と再確認していたんだと
わたしがここで看護師していて
この車に乗り
いつもは流れていないラジオから
たまたま車内にいる この瞬間に
25年以上前の出来事の理解が深まる言葉を聴く必然性
言葉では言い表せない
寸分の狂いもない
この壮大な時空間を
その瞬間 同時に感じました
武田鉄矢さんは
あの時 一体何の話をしていたのかな?
蝶になる夢を見ていた人がたのかな?と気になり調べると
荘子の胡蝶の夢 というお話をしていたのだと分かりました
荘子の胡蝶の夢のお話は こんなお話でした
荘子がある日、昼寝をして夢を見ました。夢の中で彼は一匹の蝶になり、ひらひらと楽しそうに庭を飛び回っていました。自分が人間であることなどすっかり忘れて、心から蝶としての生を満喫していました。
ふと目が覚めると、自分が人間の荘子に戻っていました。しかし、夢の感覚があまりにもリアルだったため、彼は混乱します。
「さっきまで人間である私が蝶の夢を見ていたのか? それとも、今は「蝶であるわたしが人間の夢を見ている」のだろうか
このお話を初めて知り 心が震えました
わたしが幼少期にしていた遊びを
象徴しているようなお話だったからです
この世界には偶然なんてひとつもなく
寸分の狂いなく
たった一つの意識が顕れてる
この顕れてる世界は 壮大な物語
それからも人生で幾度となく
この必然性が
明らかになっていくことになります