
看護師は希望が叶い
脳外科病棟に配属されました
大学病院での脳外科病棟は
救急や手術後の急性期の患者さんから
日常生活の介護が必要な慢性期の患者さんまで
とにかく濃厚で幅広く
1秒刻みのスケジュールで動いていました
大学病院の中で1番きつい病棟と言われている中で
心失うことなく働けたのは
一緒にがんばれた
頼もしい同期の存在と
先輩方がとにか
プロフェッショナルで
人間的にも尊敬できる先輩ばかりだったからだったと思います
勤務時間も残業は当たり前
それ以外も研究や係などで ほぼ病院にいましたが
新卒であの濃厚な時間を過ごせたことは
看護師生活の中で
わたしの宝物になりました
そんな必死で過ごしている中
ある日 若い男性が 意識不明の重体で救急で運ばれてきました
カルテを見ると
その男性はなんと
中学生の時に夏休みに友人と参加した合宿にいたS君でした
彼は人工呼吸器を装着する状態で
全身管だらけ
意識も最も重篤な状態でした
わたしは 仕事終わり
いつも彼に声をかけに行っていました
それから数ヶ月
彼は命の危機を何度も乗り越え
奇跡的に回復しました
お話ができるようになった彼は
わたしに
「あの時 いつも話しかけてくれてたやろ 全部分かってたよ」
と言うのです
そして
「先生たちが 自分の周りで
『今夜 危ないな』とか言ってるのも全部聞こえて
自分 死ぬかと思って
すっごく怖かった」とも
あの昏睡状態
意識不明の状態だったけど
全部聞こえて 分かっていたことに
とても衝撃を受けました
人はわたしたちが思ってる以上の
表層だけではない
もっと奥に認識してる
何か壮大な存在なんだ
すっかりこの感覚を忘れ
表層のわたしになりきっていましたが
子供のころの
奥のところから
世界を観ていた感覚の扉が
ノックされた感覚になりました
また 他の患者さんで
わたしが学生の実習時代から担当させていただいていた
Oさんというおばあちゃんがいました
わたしが看護師なった時も その方は
その病棟にいらっしゃり
わたしの心の拠り所になっていました
その方は意思の疎通ができない
ベットで寝たきりの状態でした
その方が
脳の脳室に髄液がたまってきたので
その髄液を腹膜に流す管を入れる
手術を行いました
その手術 後髄液の流れが良くなると
「Oさーん」とわたしが呼ぶと
手を振ってくれるようになりました
表層の表現の機能がままならなかっただけで
Oさんも根底では全て理解していたんだ!と
その時も同じく衝撃を受けました
わたしが赤ちゃんの時に
全て認識していたように
ひとは表層よりも
さらに深い認識する意識があると
そのことを 思い出させてくれました
そして
さらに忘れていたことを思い出す
そんな出会いを
宇宙は準備してくれていました