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My story8 地球人として懸命に生きる

· My story
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繊細な感受性を持ったまま

学校生活や習い事 お友達と遊んだり

日々の生活を過ごしていました

祖父母や両親はわたしのことすごく大切に思ってくれていました

そして わたしのこと大切に思ってくれてるからこそ

道を踏み外さないように

すごく心配もしてくれていました

その心配する思い 両親の恐れが

わたしの中にいつも入ってきて

それを感じて苦しくなってました

『わたしは 大丈夫なのにな

わたしを心配するより

みんな幸せでいてほしいな』と

いつも

「あんたのため思って言ってるんやよ

親しかこんな事言ってくれんよ」

という母に

『心配は愛ではないのだけどな』 

とも思っていました

よく親の心配は愛と勘違いされますが

心配は決して愛ではありません

心配は 親自身の自分の恐れであり 子供への呪いです

結局は子供が辛い思いをし 自分が辛くなりたくないのです

そして 愛を装い 心配という自分の恐れを子供にぶつける行為が

子供がどんな気持ちがするか

どのような影響を子供にあたえ 負担になるか

の配慮に欠けた未熟な行為です

愛は『この子は何があっても大丈夫』という信頼です

この構造を 子供ながらに感じていて

小学生のわたしは

『自分の子供には 

心配して子供に怖い思いをさせて

子供の世界のじゃまをしないようにしよう

何があっても大丈夫だよって

世界のやさしさを伝えていこう』

と心に誓っていました

おかしいと思うことは「おかしい」というわたし

そして自分達の感性とは全く違うわたしを

両親はとても育てにくい子供だったと思います

小学生のわたしは

時折 すごく疲れて 悲しくなって

「わたし 生まれたくなかった」

ってよく泣いていました

理解できない両親は とても困っていたと思います

自分でもよくわかりませんでした 

なぜそう思うのか

家族にも大切にされ お友達もいて

それなりに暮らしていましたが

いつもどこにいても

自分の居場所じゃないような

そんな気持ちをずっとどこかで抱えていました

中学生の頃 

自分の色んな気持ちの付き合い方に戸惑い

『生きるのはどうしてこんなに辛いのかな

わたしはどうやったら 無償の愛の人でいられるのかな』

といつも思っていました

親戚に新興宗教に入ってる方がいて

『心のこと 少しはわかるかな?』と

一緒に連れて行ってもらい 

何年かお話し聞きに行っていましたが

そこには ハテナ?だけで 

わたしの欲しい答えは見つかりませんでした

それからもわたしはその感性を持ったまま

生きずらさを感じながらも

表層の自分になりきり

本当の自分や

目に見えない存在などのこともすっかり忘れ

地球で自分なりに懸命に生きました

そして 成人し

看護師で働いていたある日

再び扉が開くことになるのです