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ただ見るということ

· Diary
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玄米茶の氷水出し作ってみました

まろやかでおいしい!

 

「わたしが全部作り出してる」

「苦しみをつくれるのはわたしだけ」

これは分離した自分がいると思っている視点からのお話で

物事に対しての反応に

その反応を判断して

思考で解釈や理屈や原因やさまざまな作り出した物語を信じてしまうことによって苦しみが生じますよー

っていうただの描写の話です

思考は言葉を観念にして

「すべてわたしが作り出してるんだ」と結論づけますが

↑これも何かを解釈したり理由づけ責任の所在を明らかにして決めつけたい思考なのです

わたしたちはただ見てあげるだけ

見るっていうことは

それについて考えたり

解釈したり分析したり原因を探すこととはぜーんぜん違うのですね

そして言葉だけを鵜呑みにして

観念にしてしまうと

それは新たな観念の書き換えをしてるだけで

思考の物語にどっぷりはまって

あらゆることが矛盾してるように感じ

こんがらがって

さらに苦しくなるかもしれません

そして

「反応しない自分にならないと!」

「もっとクリアにならないと!」

「まだまだわたしはだめだー」と思いだし

分離した自分がいるという観念を強化してしまうのです

ただ見る

はとってもシンプル

解釈も原因も追求せず

そうなんだねーって

ただ見てあげるってこと

「そしたらどうなるの?」

って思考が出てきても

いまから逃れようとする思考

なんでも目的の手段にしょうとしがちな思考をただ見る

ただ見るには

目的はありません

日々の暮らしで

ただ見ていくだけ

もしかすると副産物で

あるのは無境界の全体性だけで

元々誰も作り出してるひとなんていないことが

明らかになるかもしれません