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カルマからの自由

· Diary
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タイ料理サイコー!

丸ビルにあるマンゴーツリー

36階にあって景色もサイコー

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「わたしはいない」って頭で理解しょうとしたらちんぷんかんぷんですが

よーく観てみると

わたしの中に思考があるわけじゃなくて

思考の中にわたしがいるってことが明らかになるだけなんですね

「わたしは不十分だ なんとかしないと!」

ってわたしたちは散々思ってきましたが

なーんだ なんとかしなきゃいけないわたしがそもそもいなかったんだ

あるもないもなかったんだって

すべてはそのまんまでもう

それでよかったんだって

心底いのちにくつろぎがあらわれてくる

どんな思考や観念が湧いてこようと 煙みたいなもので

いちいち掴んでこの思考や気持ちを解放しなきゃ あーしなきゃ こーしなきゃもなかった

それは個人的なチカラではなんともならないんですね

原因を追求したり過去の何かに結びつけて一見納得し解放されたかのように感じても

思考が思考でぐるぐるして納得したかのように感じてるだけなのですね

もちろん掴んだように感じたとしてもそのつかんでるわたしがそもそもないので

ただそれとして気づいてるだけで 特に問題もないんですね

思考や観念は悪者でもなく

ただ煙みたいなもので

思考や気持ちや観念自体にはなんのチカラもないんですね

カルマからの自由って

カルマを全部解放してカルマすべてなくなるわけではなく

カルマを所有してる個人的なひとなどいなかったって明らかになるだけなのですね