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量子場の瞑想による恩恵

· ELM瞑想
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人生はもうすべて決まっている

決まってる というより

すべて もう在る

すべて 起こっている

の 表現のほうが しっくりくるかもしれません

3次元的認識では時間があるから

決まってる という

未来的な表現になりますが

時間は 限られた認識の思考が創り出した産物なので

ホントは時間はなく

違う次元には

もうすべて在る

すでに すべて 起こって いる

この話は 思い通りにしたいエゴちゃんにとっては

聞き入れたくない話で

めちゃくちゃ抵抗し

あたまで理解しょうとしても

混乱するだけなので

そういう場合はスルーしてください

なぜならこれは理解したり

ムリやり受け入れたり

いいきかせたり

掲げて生きるような

観念では 決してなく

意識の目覚めとともに

体験として

自然に疑いようのないものになるものだからです

人生は自分で切り開き

願いは叶う と

人生はすべてもう起こっている は

論点がちがう次元での話なので

このことについて どちらが正しいか議論するのは

まったくナンセンスということになります

 

全宇宙にとって

ちいさいあたまが考える

良い 悪いを超えた

どの瞬間も 最善である ことが

全体で 営まれています

ある日 何気なく歯みがきしてる時

ナディー (わたしたちの光の体にある14万4千の光の経路) の中にカルマや摩擦がエネルギーのかたまりとしてあり

その精妙な経路に光が通り カルマの固まりのエネルギーが溶かされていく

それもいつどの経路を通り カルマが溶けるかも 寸分のくるいもない完璧な営みの その様子と

たくさんの精子が すべて 絶妙な動きで

それらもすべての動きが寸分のくるいなく

卵子に向かっていく 様子が浮かび

これも それも すべて寸分のくるいなく

全体で為されているんだという確信

ほんの一瞬に

これらのすべてが同時に起こりました

エゴは 全体で起こってることを

すべて個人的に見てしまいますが

すべては

個を超えた 全体で起こっている

人生に

間違えというものがあるとしたら

それは 正しさの追求ではなく

自分が個人的なものだと

分離的なエゴを自分と同一化し

わたし を見失うこと

ほんとうのわたしたちは

思考でも

カラダでも

個性でも

行為でも

感情でも

本心という気持ちすら でも ありません

それらを すべて排除しても

なお残るもの

すべての場

気づいてる意識

とらえようがない

認識すらできない

言葉では表現しきれない それ

量子場の瞑想は

すべての根底にある それ を目覚めさせ

自分の物語の夢

思考の夢から覚める

意識の目覚めこそ

この 量子場を使った瞑想の恩恵です

なぜなら目覚めは

エネルギーの作用であり

意識の状態だからです

これは ごく一部のひとではなく

すべての人に開かれている 恩恵です

至福や平安は目指すものでもなく

目覚めによりもたらされる副産物です

わたしたちは

わたしたちではないものに気づき

わたしであること

大切なことは

ただ それだけ